ワインの恋文vol.5 Dear 吉本ばなな

その一本になるまでに、ワインはさまざまな物語を含む。そんなワインに感情をのせてあの人へ届けたい。ワイン スタイリスト・大野明日香さんによる、ワインに込める心の恋文。

キャネー甲州2016
金井醸造場

山梨県 葡萄品種 甲州

春の清らかなせせらぎを思わせる白ワイン。

優しく語りかけるような透明感と酸味を感じられます。

朗らかに笑うお2人を思い出すと、金井醸造のワイン造りはまるで魔法使いのようだなあと、気持ちがやすらかになる。


Dear 吉本ばなな

「スナックあすか」というイベントタイトルでイベントをやっていたのは、私の名前を冠したスナックが日本全国に数多あることに加え、吉本ばななの作品「スナックちどり」に影響を受けたところも大きい。

「ちどりのいるところ、そこは地球上のどこであれすなわちスナックだということですな」

いい!と思った。そういう店がやりたい。店、ではないのかもしれないけど、とにかくそういう、地球上のどこであれ私がワインを出す、そしたらそこは「スナックあすか」だ。

「スナックは行き場をなくした人たちの最後のよりどころなんだよ」

とにかくそんな「よりどころ」に感じられる空間が、ふわっと浮かび出るみたいに、たまにオープンする。そんな「スナック」でワインを出すならばどんなワインが良いだろう。


「スナックちどり」で出すワイン。私ならば金井醸造のワインを選ぶ。

金井醸造のワインは今や幻のようになってしまった。元々生産本数も少ないワインであるのだが、ワインがリリースされない年もあったりで、その存在は知っていても飲んだことはないという日本ワインファンも少なくないのではないかと思う。本の取材で金井さんご夫妻から直接話しを伺った私ですらそんなに飲んでいない。「金井さんのワインってのはね」、なんて話せるほどの経験は、正直言ってありはしない。 

ただとにかく印象に残っているのは畑に沢山の雑草がはえていて、中には使えるハーブもあったりして、生物多様性って言葉が思い浮かんだこと、その景色がなぜか泣けてしまうくらいに美しかったこと。そして金井さんが言った「葡萄に気づかれないように世話をする」という言葉だ。葡萄が自分でこうなりたいと思ったかのように、気づかれないように世話をする。その方が葡萄本来の強さを導くのではないか。

私は2人の子供を育てるなかで、ぶつかる度にこの言葉を思い出す。私は気づかれまくりだ。世話をしていることを。

「スナックちどり」のちどりは少し違うかもしれないけど、吉本ばなな作品には、不思議な能力をもつ魔法使いみたいな存在が登場する。彼らは傷つきやすく繊細で優しい。それと同時になにか壊れている、アンバランスなまでの頑固さを持った弱虫たち。そしてそんな彼らを弱虫でも譲れないものがあっていいんだよとばかりに見守る、いわばドラえもんみたいな優しさを持った人たち。「他人を赦す」その能力に関して言えば、ちどりもそんな存在なんだろうし、それは金井醸造のワインにも通じる「赦されている」感じじゃないかと思う。

弱虫が集う世界は弱虫だから攻撃力はない。弱虫な上に愚痴は言う。弱虫のくせに嫌なことは嫌と言ってしまう。でもそんな弱虫が弱虫のままで生きていたっていい世界を吉本ばななは赦してくれる。私はいつも、吉本ばななに救われてきた。

今、世界が大変なことになっている。今まであると信じてきたものが凄いスピードで無しになってゆく。強いと思ってたものは脆く崩れさっていく。今私にできることは1人で考えること。吉本ばななの本を読みながら金井醸造のワインを思い出し、想像の中で私はワインを出すよ、今これを読んでいるあなたに。そしてゆっくりと味わってみてほしい、あなたの想像の中で。


こころのあて先:吉本ばなな

1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、95年『アムリタ』で紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、海外での受賞も多数。


小脇の一冊:「スナックちどり」(文藝春秋社刊)

40歳を目前に離婚した「私」と、身寄りをすべてなくしたばかりの、いとこのちどり。イギリス西端の田舎町を女二人で旅するうち、魔法にかけられたような時間が訪れる―。(BOOKデータベースより)




大野明日香

島根県松江市出身。日本のワイン、ヴァンナチュールを中心に扱うワインスタイリスト。映像、音楽関連の仕事を経て、いくつかのワインバーに勤務後、ワイン スタイリストとして独立。ワイン関連のイベントの主催やプロデュース、ケータリングなどを行う。「日本ワインと手仕事の旅」(光文社)沼津の雑貨店halの店主 後藤由紀子さんとの共著がある。

プロフィール写真:馬場わかな

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