空想小説、恋愛小説、青春小説、私小説、ショートショート、エッセイ……。きっと好きなジャンルがあるでしょうが、出会ったものを読んでみよう。エッセイ連載始めます。約40年、私塾を営み、人を見てきた峰尾雅彦の『あんな日があってこんな日』。
『あんな日があってこんな日』#1 峰尾雅彦著
私がひとりで小・中学生向けの学習塾をやっていた、四十年ほど前の話です(そういえば、塾を開くにあたって相談した高校時代の恩師から、「ミネオくん、頭のいい子に勉強を教えてはいけないよ」と言われたことを今さらながら思い出します)。
「問題の意味がわからないよ」
「なるほど。それがわかれば、やり方もわかるわけだな。がんばりなさい」
「ここの意味はこういうことなの?」
「そう思ったらそうやればいいよ」
「違ったらやだからなあ」
「間違いは誰にでもある」
何やら根掘り葉掘りやり方を聞き出そうとする風である。たとえば、
「車のスピード・メーターが、今80㎞を指している。目的地まではまだ200㎞あるんだけど、あと何時間くらいで着くかな?」
速さ、距離、かかる時間の関係を「勉強」として習う前なら、三、四年生であれば難なくとは言わないまでも、さほど抵抗なく答えを出します(途中の計算はそれぞれ自己流で)。ところが、これを「勉強」として習って教室から出て来ると、たちまち変なことになる。
「掛けるんだっけ?割るんだっけ?」
習う前の柔らかな脳はどこへ行ったのか。
「3000円持ってきたうち、5分の3使ったら、残りはいくら?」
分数の掛け算、割り算を習って来ると、一生懸命「式」とやらを作ろうとして、3000➗3/5、或いは3000➗2/5。しかし、答えのところには、彼あるいは彼女の苦悩のあとを示すかのように、1200円と書いてあったりする。
習ったことが、それ以前の体験的な知恵をうまく整理してくれるものとして脳に染み込めば「方法」なるものがそこに合成されるわけだけれど、そういうことには滅多にならない。
「あれーっ、どうやるんだったかなあ」というところで脳が空転する。
「教育」が、日常体験の中で身につけた知恵を、主体的に意識化することに手を貸すのではなく、むしろ主体性を奪う方向に力を振ってしまう。これは単に「教育的学習」の上だけの問題ではなくて、子どもたちの「こころのあり様」にも関わることかもしれません。
福沢諭吉は『文明教育論』の中で、
「無限の事物を僅々数年間の課業を持って教うべくにあらず、学ぶべきにあらず、その一部分にてもこれを教えて完全ならしめんとするときは…(中略)…結局世に一愚人を増すのみ」と言います。
とすると、以来生み出された「愚人」は数知れないはずだから(私もその一人)、汚染は大規模に進行して、今に至っていることになりますね。
峰尾雅彦
1943年(昭和18)東京・浅草生まれ。67年東京大学フランス文学科卒業。コピー・ライターを経て、69年から『現代日本建築家全集』(栗田勇監修・三一書房)の編集に参加。全集完結後、74年から自宅の一室で私塾『峰尾塾』を始める。2002年には自宅の一角で絵本と珈琲とカレーの店「まざあぐうす」をオープン。今日に至る。訳書にアンドレ・ブルトン『ナジャ』(共訳・現代思潮社)、マンフレッド・タフーリ『建築神話の崩壊』(共訳・彰国社)などがある。
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