空想小説、恋愛小説、青春小説、私小説、ショートショート、エッセイ……。きっと好きなジャンルがあるでしょうが、出会ったものを読んでみよう。エッセイ連載始めます。約40年、私塾を営み、人を見てきた峰尾雅彦の『あんな日があってこんな日』。
『あんな日があってこんな日』#2 峰尾雅彦著
話は、塾がカレー屋を兼ねるようになった20年ほど前に飛びます。
カレー屋を始めて一年ほど経った或る日、一人の塾の卒業生が訪ねてきた。
「お久しぶりです。カレー職人ぶりも、すっかり板についた感じですね」
「ようやく天職を見つけたようだ」
「ということは、塾はもうやめたのですか?」
「残念ながらそんな器用な人間ではない。塾もぐずぐずとやっている。で、どうだい?カレーの味は。まさかまずいとも言えまいが」
「おいしいです。いや、ホントに」
「うれしい。きみもオトナになったな。ところできみは当時、みねおじゅくにどんな印象を持っていたか」
「何の役に立つか分からないこことをやらされるな、と。でも面白かったです」
「うれしい。それで?」
「結局、なんの役に立ったか分かりません。あはは」
「いいことを言ってくれる。しかし立派な大学にも入れたことだし、俺のお陰もあるのではないか?」
「みねおじゅくを出てからずいぶん勉強しましたから」
「それこそが私のお陰と思ってもらえないのは残念だ。みねおじゅくを出ると勉強したくなるのだ。あはは」
昼はカレー屋、日暮れて塾というのは、世間的にはいたっていかがわしい業務形態かもしれないが、私としては、カレー屋のおじさんのに我が子を
習わせようとする親がいるというのも、それはそれで健康的なことではないか、と思っていたような気がします。
本人の努力の賜物であるべきもの(学校での成績)を汚さない。子どもたちを教わりたがり屋ではなく、頭使いたがり屋にすること。それを塾の柱としてきた者としては、カレー屋を兼ねることで、むしろその柱に磨きがかかると思っていたのかもしれない。
噛んで含めるような授業、テクニックの伝授、ポイントの指摘、宿題、そしてテストを繰り返して「お陰様で成績が上がりました」???
誰でも言いそうなことだけれど、
「骨を折って獲得されたものこそ、これから先に豊かな結果をもたらす」とニーチェも言っている(『人間的な、あまりに人間的な』より)。成績をあげる
骨折りぐらいはせめて本人に残しておいてあげたい。カレー屋を兼ねるようになって、この想いがより鮮明になった、かな?
とはいえ、塾の方は、カレー屋が軌道にのったからというわけではなくて(カレー屋は今も軌道にのっていない)、それから5、6年で閉じることになります。
峰尾雅彦
1943年(昭和18)東京・浅草生まれ。67年東京大学フランス文学科卒業。コピー・ライターを経て、69年から『現代日本建築家全集』(栗田勇監修・三一書房)の編集に参加。全集完結後、74年から自宅の一室で私塾『峰尾塾』を始める。2002年には自宅の一角で絵本と珈琲とカレーの店「まざあぐうす」をオープン。今日に至る。訳書にアンドレ・ブルトン『ナジャ』(共訳・現代思潮社)、マンフレッド・タフーリ『建築神話の崩壊』(共訳・彰国社)などがある。
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